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┃飛行機関連グッズ専門店『フライヤーズ』メールマガジン
┃2003年8月22日発行 【第25号】
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┘ ☆ MENU ☆
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┘【1】店長の挨拶
┘ ●アンケートのご協力ありがとうございました!
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┘【2】AIRPLANE HISTORY
┘ ●A26の日独無着陸連絡飛行
┘
┘【3】飛行機の話
┘ ●スターリンのB−29無許可コピー計画
┘
┘【4】フライヤーズクイズ
┘ ●クイズに答えてプレゼントをもらおう!
┘
┘【5】宛先変更および配信停止をご希望の方
┘ ●メールマガジンの宛先変更および解除したい時は・・・
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【1】--- 店長の挨拶 ----
●アンケートのご協力ありがとうございました
前回のメルマガでアンケートを掲載しましたが、多くのお客様から
お返事を頂きました。この場をお借りし、厚くお礼申し上げます。
今後のメルマガに役立てていきたいと思いますので、今後も宜しく
お願い致します。
さて、今年は全国的に冷夏のようですね。千歳も暑からず寒からず
過ごしやすい毎日です。
(道外の方からすれば寒いのでしょうが・・・。)
では、25号スタートです。
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【2】--- AIRPLANE HISTORY ---
●A26の日独無着陸連絡飛行
1937年(昭和12年)「神風号」の東京−ロンドン無着陸飛行、
1939年(昭和14年)「ニッポン号」の世界一周飛行と、この
年代はまさに航空ニッポンの輝く時代でした。
そして1940年(昭和15年)、朝日新聞社が東京−ニューヨーク間
を無着陸で飛ぶ大飛行と、そのための長距離連絡機開発の構想を発表
し、雑誌「航空朝日」には完成予想のスマートな模型の写真が掲載され
ました。東京−ニューヨーク間1万1000kmを飛ぶのに十分な
1万5000kmの航続性能、これは東京−ニューヨーク間は
もちろん、周回飛行世界記録をも上回る大飛行です。
すでにヨーロッパでは第二次大戦が始まっていましたが、日本は
皇紀2600年の祝賀ムード一杯で、大衆は戦争の危機は回避できる
と信じていました。しかし太平洋戦争は勃発し、A26計画は秘密の
ベールで覆われ、国民の目の届かないところへ押しやられてしまった
のです。
1943年(昭和18年)のある日、陸軍航空本部の川島大佐は
東条首相に呼ばれ「キ77によるドイツへの連絡飛行」の立案を命ぜ
られました。キ77とはA26長距離連絡機の陸軍での試作番号でし
た。A26の計画は長距離周回飛行の世界記録を樹立した「航研機」
のメンバーがいた東京帝国大学航空研究所に、開発は立川飛行機に
委託されていましたが、戦争が始まり陸軍の試作計画に取り込まれ、
キ77と呼ばれてたのです。
日本はドイツ、イタリアと同盟を結んで戦っていましたが、
ミッドウェイ海戦に敗北し、前年の夏からアメリカ軍の反抗が始まって
いました。日本は極東に孤立しつつありました。日独間の無線連絡では
情報は限られてしまう。要員を送って顔をつき合わせて戦略情勢を
協議し、またドイツの最新の軍事技術を譲り受ける必要もありました。
すでに潜水艦によってドイツへ旅立ってはいましたが、往復に80余日も
かかり、しかも相次いで撃沈されていました。イタリア機が中央アジアを
越えるシルクロード上空の飛行で満州に到達したことも、政府上層部に
「大空の使者」を派遣する構想のきっかけにもなりました。
A26は1万5000km以上の航続性能を持つだけでなく、数名の
乗員が数千mの高空を長時間飛ぶための液体酸素を利用した酸素マスクを
備えており、また巡航速度も300km/hと長距離機としては格段の
高速化が図られていました。エンジンは「隼」や「零戦」にも使われ、
低燃費と信頼性に定評のあった中島飛行機製「栄」1000馬力の双発
でした。プロペラ効率を向上させるため減速比だけは大きくし、胴体は
完全な流線形で操縦席の風防の段もありませんでした。翼型には東大航研が
独自に開発したLB型の層流翼が使用され、戦後NASAが同様の研究
していたことが分かりましたが、それに勝るとも劣らない、時代の水準を
抜いた低抵抗翼型でした。
A26の能力をもってすれば、日独間1万2000kmの距離は大きな
問題ではありませんでした。問題はイタリア機が通ったシルクロード・ルート
は旧ソ連との中立条約を刺激するからと放棄され、シンガポールから
インドを迂回して洋上を飛び、アラビア半島を経てクリミア半島に至る
南回りコースを飛ばなくてはならなくなったことでした。コースの全てが
敵地なのです。空には戦闘機や哨戒機が常に飛んでいるし、A26には
自衛の武器も無ければ防弾もありません。燃料を積んだA26が敵の哨戒機の
追跡を振り切ることもまず不可能でした。途中の天候も分からないし、
行動を秘匿するために無線通信による情報提供も受けられません。
しかし日独間の連絡はA26を頼るしかなかったのです。生還の期せない
飛行でしたが、生還しなければならない飛行でした。
1943年(昭和18年)7月7日午前6時、朝日新聞社のパイロット
長友重光、「神風号」の機関士として欧米飛行の経験のある塚越賢爾、
そして航空部員の川崎一、杉田紀芳、川島元彦と陸軍の軍人3人を乗せた
A26の2号機は、シンガポールのカラン飛行場を離陸、ゆっくりと上昇して
行きました。1万2000kmのかなた、クリミア半島のサラブス飛行場では
ドイツ軍の軍楽隊も整列し到着を待っていました。40時間程で到着する
予定でした。しかし予定時間が過ぎ、やがて燃料が尽きる時間になっても
A26はその姿を見せません。1通の電信も残さないまま消息不明になって
しまったのです。
ドイツに旅立ったA26は2号機でしたが、1号機は1944年
(昭和19年)7月に、満州で周回長距離飛行に挑戦し、戦時中の
ため公認記録にはなりませんでしたが1万6435kmの長距離世界記録を
樹立しました。
参考文献:鳥養鶴雄 著 グランプリ出版 「大空への挑戦」
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【3】--- 飛行機のお話 ---
●スターリンのB−29無許可コピー計画
ソ連(現ロシア)にとって大層ありがたいものが空から降ってきました。
文字通り「天の恵み」でした。第二次大戦も終りに近い1944年
7月29日、満州を爆撃中のアメリカB−29爆撃機がエンジンに
被弾しウラジオストックに不時着、8月20日には日本の九州を
爆撃中に被弾したB−29がハバロフスク付近に墜落、11月21日
にはやはり九州を爆撃中に被弾したB−29がウラジオストックの
飛行場に不時着。いずれも乗員もしばしの収容所で生活した後、アメリカに
帰国が許可されたものの機体は没収されました。
当時ソ連は連合国側でアメリカとは同盟関係にあり、第二次大戦中、
アメリカ政府は多数の戦闘機をソ連に引き渡していました。しかし
B−29は例外で、このB−29を喉から手が出るほど欲しがったのが
当時のソビエト連邦共和国・書記長のスターリンでした。B−29を
ソ連で造る早道は、本物を見ながら造るのが一番。1944年末、
スターリンは設計者・ツポレフを呼び、B−29を2年で造れと命令
しました。
没収されたB−29はばらばらに解体され、10万個を越すパーツが
材質の検査に送られ、作動、製造工程、耐久性、装着を調査し、同時に
ロシア語の製作図面が起こされました。しかしここで一番の問題になった
のが、米ソ両国の単位の違いです。
アメリカは12進法のフィート・インチ、ソ連は10進法のメートル法を
使っており、B−29の図面を起こすのにもメートル法に換算しなければ
ならなかったのです。この換算する時の誤差によってソ連製B−29の
「ツポレフTu−4」は本家アメリカ製B−29よりも500?も重く
完成しました。見本となったB−29がソ連の手に渡る前の出撃で被弾し、
この部分にした応急修理の跡までTu−4では忠実に再現された、
という話があるほどよく似ていたのです。
晴れて1947年7月3日の航空日にモスクワ上空をTu−4が2機、
その旅客機型Tu−12が1機初飛行しました。アメリカが驚いたのは
言うまでもありません。自国で開発した爆撃機が、Tu−4と名を変え、
北米大陸に核爆弾を投下する脅威が生まれたのです。アメリカの大都市
には空襲警報を発する巨大なサイレンが設置されたほどでした。
ソ連では400機以上が生産され、1950年代初めには中国にも
引き渡されました。
ソ連はその後、アメリカ製原爆「ファットマン」そっくりの原爆も
完成させ、1951年10月にソ連で初めて空中投下実験を行いました
が、その際の投下母機がB−29そっくりのTu−4で、コピーの
爆撃機からコピーの原爆の投下実験が行われたのです。
参考文献:西村直紀 著 グリーンアロー出版 「世界の珍飛行機図鑑」
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【4】--- フライヤーズクイズ ---
●クイズに答えてプレゼントをもらおう!
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お答えいただいた方の中から抽選で
・スカイジェッツ 1/400
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ランチリ B767−300
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をプレゼントいたします!
1.A26は日本陸軍では何と呼ばれていたか?
(1)キ55 (2)キ77 (3)キ99
2.A26がドイツへ向け飛び立った際、乗り込んでいたのは合計で何名?
(1)7名 (2)8名 (3)9名
3.A26がドイツに向け飛び立った時の飛行場の名は?
(1)ラテン飛行場 (2)レオン飛行場 (3)カラン飛行場
4.A26がドイツに向かう際、旧ソ連との中立条約を刺激する恐れが
あると南回りコースに飛行ルート変更しましたが、このとき日本が
ソ連と結んでいた条約の名は?
(1)日ソ不可侵条約 (2)日ソ平和条約 (3)日ソ友好条約
5.ご意見・ご要望がございましたらお書き下さい。
解答された方は
1)件名欄に、“フライヤーズクイズ”と記入していただき
2)本文欄に、クイズの答え、お名前、郵便番号、ご住所を
お書き添えの上
下記のメールアドレスまで送信してください。
mailto:info@e-flyers.jp
解答は9月12日必着とさせていただきます。
《24号の当選者》
24号の当選者は
北海道にお住まいの小田晃孝様に
ブラニフ インターナショナル B727−100 GREEN
東京にお住まいの天野和俊様に
ブラニフ インターナショナル B727−100 RED
北海道にお住まいの内田慎吾様に
ブラニフ インターナショナル B727−200 GREEN
に決定しました。おめでとうございした。
皆様のたくさんのご応募ありがとうございました!
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【5】--- 宛先変更および配信停止をご希望の方 ---
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1)件名に「宛先変更」「停止希望」のどちらかを明記して
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ご記入もれがある場合は対応できませんのでご注意ください。
よろしくお願い申し上げます。
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最後まで読んでいただき、誠にありがとうございました。
次回号もお楽しみに!(^-^)
【第25号】 終